Birth of SONG OF A WOMAN

ある日『SONG OF A WOMAN』という言葉がインスピレーションのようにやってきて、そのどこか神秘的な響きはビジョンと共に、何か私に強く語りかけるものがありました。その後もずっとその言葉の響きが私を離れず、その言葉が具現化するかのように、このスペースが生まれました。

デザインやコンテンツも出来上がってきて、ブログを何件か書き上げてからリリースしたいなと思って執筆していたとき、どうも筆が進まず、自分自身や自分が書いていることに対して懐疑的になったり批判的になったりとスランプを経験していました。そんな時私はいつも応援してくれる素晴らしい友人たちに電話をするんですが、そこで「今、SONG OF A WOMANていう新しいプラットフォームを作っててね、ちなみにSONG OF A WOMANていう言葉の由来と込めた想いは…」というように説明をし始めました。そうすると友人たちは口を揃えて、「そのことについてはブログに書いたの?今話してくれたこと、とても素晴らしかったよ」と言います。考えてみると、その時が初めてSONG OF A WOMANに感じるビジョンを人にシェアした時だったのですが、話しながら自分自身が、「あぁ、そうだった、この感覚を伝えたいんだった」と涙が出てきました。

Vision of SONG OF A WOMAN

実は、女性同士のユニティを感じてもらうためにも、何度か複数形の「Women」に変えた方がいいのかなと思ったことがありましたが、どうもしっくりきません。

なぜ「SONG OF A WOMAN」に惹かれるのだろうと、自分の内側を感じてみると、スポットライトが女性全体ではなく、「あなた」「わたし」一人に当てられているからこそ、その人にしか歌えない歌、正解も良し悪しもない、ただ唯一無二の人生、ストーリーを讃えているのだと感じました。

ユニティも大切ではあるものの、一つの側面として、まとめられるがゆえに価値観も一緒にまとめられてしまうことがあります。けれど、女性の人生にはたくさんのステージとそれに伴う肉体の変化、そして様々な感情的体験があります。そのスペクトラムの幅広さと奥深さは、「これは良くてこれは良くない、一緒にみんなでこれを目指しましょうね」と掲げられる範疇を超えている、もっと複雑で、とても生々しくリアルなものだと思うのです。

そこで何が起きようと、時に望ましくないことが起きたとしても、それに対して周りの人や社会がなんと言おうと、あらゆる人生のステージを経験して最終的に私の歌はこう言う歌だったと宣言できるのは、その経験を生きた本人だけなんだという強さを「SONG OF A WOMAN」に感じます。これから私はこのプラットフォームで主に子宮と月経の叡智を中心に発信していくけれど、何よりもここにたどり着いた全ての人に感じて欲しいことは、「You’ve made it here. I’m so proud of you. ここまでよくやってきたね、あなたのことを本当に誇りに思っています。」ということです。それは自分自身にかけてあげたい言葉でもあります。

歌が歌として成り立つためには、あらゆる音階からなるたくさんのパートが組み合わされなければいけません。けれど私たちが大きな視野や神秘さを忘れた時、どこか一部を切り取って良い悪いの白黒をつけたくなります。そんな時は思い出してください、あなたは一生を通して自分にも予想がつかないくらい壮大で、美しくて、白黒の二元性をはるかに超えた大曲を今も生み出している途中であることを。

I am so glad to have you here.

love, Keito

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Interview with Mei Ichinose