Interview with Mei Ichinose

Words by Keito Hirakawa & Nanao Carey | Photography by Keito Hirakawa

一ノ瀬メイちゃんに出会ったのは二年前。私がその当時、主催していたWOMB BASED LIVINGという月経サイクルの学びのウェビナーに参加してくれたことがきっかけだった。初めて直接顔を合わせることができたのは、彼女がたまたま湘南を訪れていたとき。それ以来、京都在住の彼女と鎌倉に住む私は、頻繁には会えないものの、自分のビジョンに向かってひたむきに進んでいく者同士、時折語り合っては、お互いの情熱を励まし合ってきた。

1歳半から水泳を始め、史上最年少13歳でアジア大会に出場。2016リオデジャネイロパラリンピックでは8種目に出場し、今もなお七つの日本記録を保持する彼女。そんな彼女が、アスリートとしての引退を決めたのも、私たちが出会ったころと同じ、二年前だった。引退をきっかけに、プロアスリートではない「一ノ瀬メイ」の幸せとは何か、を彼女は時間をかけて見つけていった。

「破壊がなければ再生はない」「手放さなければ新しいものはやってこない」そう言葉にするのは簡単でも、彼女ほどそれを体現する人はなかなかいない。そして、それが彼女の魅力となって、強い輝きを放っている気がする。今の自分をどう感じている?女性であること、月経があることについてどう考えている?というトピックで今回インタビューさせてもらった。

自分自身の一番好きなところはどんなところ?

私の自分の好きなところは、色んなものを感じ取れる力かな。今自分がどう感じているか、どう思っているか、体が今何を必要としているかを感じ取ってあげられる力。人といる時は、その人が感じていることも瞬間瞬間に気づいて、感じ取っていている自分が好きだし、それを言葉にできることも誇りに思ってる。

その力を培ってくれたのは、アスリート時代だったと思う。例えば、試合前は緊張するのが当たり前。だけど、自分が緊張してるということに気づかずにただただソワソワしているのと、「あ、今自分は緊張しているんだ。」と気づけるのとでは、大きな違いを生むんだということを感じた。

自分が緊張しているということに気づいても、「緊張しちゃいけない、落ち着かなきゃ。」と、感じていることを否定してしまう人も多いんだけど、それでは緊張を悪化させてしまうだけ。

「だってこんなに練習して、人生がかかっているレースに今立っているんだもの。緊張するよね。」と、気づいて把握したら、受け入れる、その練習を繰り返し実践したアスリート時代だった。

自分の女性性との関係性はこの数年間でどう変わったと思う?

私が数年前までいたアスリートの世界は、休みたい時こそ追い込むべきとされる競争の世界。優しさが評価されない環境で、自分の女性らしさ、自分が女性であることを肯定することはすごく難しかった。

生理も邪魔だとしか思えなかった。生理がくると腰から下がすごく重くなって、それが水泳のタイムにも反映するし、練習中もお腹が痛い、プールの水でさらにお腹が冷えるから、億劫なものとしてしか捉えていなかった。

試合や大事な日に生理が被らないように18、19歳くらいの時からピルを始めていて、5年間くらい飲み続けていた。女性である自分をありのままを祝福して受け入れるというよりは、自分が今いる世界の中でたどり着きたいところに到達できるように、自分の揺らぎや不調をどう抑え込めるか、どうコントロールするか、という考え方をしていたと思う。

心や体の声を聞くよりも、頭で考えた正解を実行していくというスタンスだったんだけれど、それがここ三年くらいで変わってきた。今は頭だけではなくて、心と体、直感にも耳を傾けながら今の自分に必要なものを与えることができるようになったと思う。

でも、負けん気のようなものや、選手時代に培ったものは今も35%くらいはあると思う。一時は全面的にそういう自分を否定した時もあった。だけど、何かに対して怒ったり、理不尽なことに気付けたりすることで、より良くしていこうって思える。一見ネガティブに思える感情でも、私を動かしてくれるエネルギーのひとつでもあると今は思う。

私が開催したWOMB BASED LIVING(WBL)という月経サイクルについて学ぶウェビナーに参加してくれていたよね。それによって一番変わったなと思うことは何だと思う?

まず、WBLを通して、生理痛があるのが当たり前ではないということを知れたことはすごく衝撃的だった。もともと生理痛が重くて、痛み止めを飲むのが当たり前になっていたんだけど、そのことを知ることもなかったら、その不快な状態さえも「しょうがない」と受け入れて変えようとしなかったかもしれない。生理痛がない自分の体という、ある意味伸び代や可能性のようなものも感じられた。

それと合わせて、ウェビナーの中では月経周期に合わせた実践的なケアも教えてもらえたから、もっといい状態の自分になっていきたいという想いを実現する後押しになった。

一番の変化としては、自分の身体の声を聞いて、自分のことを優先できるようになったことかもしれない。例えば、生理中はなるべくゆっくり過ごしたいから、集まりへのお誘いは断って、代わりにリラックス系のヨガのクラスを予定にいれたりするようになった。無闇に人に合わせるよりも、自分がどうしたいかというのを優先して過ごせるようになったのは大きな変化だと思う。多少人に気に入れられなくても、私には私というホームがあるという安心感を持てるようになった。

今自分がいるチャプターにタイトルをつけるとしたら?

「創造」かな、と思う。

ちょっと前までは、破壊と創造の、「破壊」のチャプターにいたと思う。自分の中での当たり前が一つ一つ変わっていった期間だった。今までの仕事や目標も手放したし、ゼロではないけれど、更地にした。そこから何を組み立てて、何を目指してやっていくかという模索がはじまった。

アスリートだった時はわかりやすい正解があったし、メダルや世界ランク何位、というように成功を測る物差しもすごくわかりやすかった。それを手放してからは、こんなに人生なんでもアリなんだ!とびっくりした。なんでもありだからこそすごく戸惑った自分もいた。

人それぞれ成功の定義だって違うし、幸せになるために必要なものも人によって違う。それがなんなのかをわかるためには、まずは自分のことをよく知っていなきゃいけない。

だから引退してからの二年間は、「自分を知る」ということをたくさんやった二年間だったと思う。すごく丁寧に自分を観察してきた。ここからはある程度自分という人間が分かった上で、何をしていきたいか?という創造のチャプターが始まったと思う。

その二年間は、自分は今前に進んでいなくて立ち止まってしまっているのかなとおもう瞬間もあったけれど、もうその時からすでに創造は水面下で始まっていたのだと今ならわかる。

最後に、若い頃の自分に、より自分らしく生きるためのアドバイスを贈るとしたらなんと伝える?

私が若い頃の自分に教えてあげたいのは、「環境によって周囲の評価は変わるから、今いる場所の評価に左右されないで」ということ。「もし花が咲かなかったら、それは花のせい?それとも環境のせい?土の栄養状態は?水や光は十分に与えられている?」という話を聞いたことがあるのだけれど、人も同じように、自分が自分らしくいられる環境というものがあるはず。若いとつい、今いる場所が全てだと思ってしまいがちだけれど、世界は広くて色んな価値観を持っている人たちがいる。

自分が自分らしくいても周囲に受け入れられなかったり、正直な意見を言っても否定されたりすることが続いていたら、「ただシンプルに環境が合わないだけかもしれない」ということを知っておけると、気持ちも楽になるかもしれない。

Mei Ichinose

パラリンピアン、アクティビスト、パブリックスピーカー、モデル、アクター

1997年京都府生まれ。先天性右前腕欠損症。1歳半から水泳を始め、史上最年少13歳でアジア大会に出場。2016リオデジャネイロパラリンピックでは8種目に出場し、現在も7種目の日本記録を保持。2021年に現役を引退後はスピーカー、モデル、俳優業など活躍の幅を広げながら、”well-being"、"sustainability”、”Diversity&Inclusion”を軸に活動している。

公式ウェブサイト

インスタグラム

YOUTUBE


Previous
Previous

Daughters of the Earth: Menstrual Wisdom Practitioner Immersion 2024

Next
Next

Birth of SONG OF A WOMAN