Re-indigenization of menstruation

「Re-indigenization」とは、「再び土着化させる」という意味の言葉で、現在世界各地の先住民コミュニティで「月経の再土着化」の動きが起きています。

「月経の再土着化」とはなんなのか?そのメリットは?それを理解するためには、少し歴史を遡る必要があります。

この「再土着化」という言葉は、「脱植民地化」と一緒に使われることが多くあります。植民地化は様々な時代/場所で起きてきましたが、16世紀頃から大航海時代を迎えたヨーロッパの強国による他国の土地と資源の横領、原住民の虐殺、原住民の言語、信仰、伝統の禁止、キリスト教と外国語の強要、あらゆる権利の剥奪、同化政策などに特徴付けられる征服行為が繰り返されました。

「脱植民地化」というのは、人種差別、搾取、暴力などの植民地化政策が植え付けた様々な行為と考えから脱していこうという動きで、「再土着化」は、脱していくだけではなくて、積極的に土着の習慣や考え方を取り戻そうという動きであると私は理解しています。

「脱植民地化」や「再土着化」などのワードは、日本で住んでいる私たちには無関係のように思えるものですが、実は植民地化した土地から資源を吸い取ることで成り立っている資本主義の世界に生きる私たちには、否応にも植民主義的な態度や思考を看過する傾向が染み付いています。

植民地化を実現させるためには植民者と被植民者の間に力の格差を作り、それを正当化する必要があります。その力の格差によって特権が生まれるのですが、そうすると、その特権から生まれる恩恵を日々知らずと受け取っている立場と、搾取される立場が生まれます。

特権を享受できている立場の人はラッキーだと思いがちですが、実際には、このような不自然なパワーバランスの上に立たされた人たちは、焦燥感や枯渇感、理由のつかない罪悪感、いつか全て奪われてしまうのではないかという恐怖感、止まらない物欲や承認欲求など、静かに私たちの心を蝕むため、実際に幸せであるとは断言できません。

これは私見ですが、物質的には豊かであるものの静かに心を蝕まれている状態がニューエイジスピリチュアリティの需要に拍車をかけた一因かもしれません。ニューエイジスピリチュアリティによって助けられた人や人生が好転した人が多いのは事実ですが、傾向として、コミュニティよりも私利私益を満たすことへの罪悪感を払拭し、周りはどうであろうと個の幸せを実現することを奨励しているものが多いように感じます。

ニューエイジ的な「癒し」や「自分探し」を求めていく旅先は、皮肉にも植民地化の影響を受けて経済的主導権を失っていたり、先祖代々守ってきた土地を不当な価格で売り捌かれた末に建てられたリゾート地であったり、それまでその土地の資源とうまくバランスを保って豊かに暮らしてきたところに入植者が介入し、入植者が設置した社会システムに依存しなければ生活できないような「造られた貧困」の中に先住民の人々は放り込まれている場合が多くあります。その国を訪れることが経済的チャリティーになるという考えもありますが、それだけでは根本的な搾取のシステムを変えるには不十分です。搾取に加担しない旅をすることも可能ではあるとおもいますが、そのためにはそのような背景を学び、意図的に旅をする必要があります。

また、植民地主義は、環境保護よりも利益を優先した土地の開拓や、その土地でずっと自然環境を守りながら共存してきた民族を虐殺または移動させたり、彼らが先祖代々引き継いできた自然と共存するための知恵が織り込まれた彼らの信仰や言葉を奪ったことにより、多大なる環境破壊をもたらしており、特権を享受している人にさえも、環境破壊の余波は間違いなく届いています。

話を月経に戻しますが、植民地化によって奪われたもののひとつに、月経の伝統的な在り方があります。私が知る限りの中でも、植民地化される前のネイティブ・アメリカン、メキシコ、ハワイアン、マオリ族、インドの一部の地域では月経は神聖視されており、少女・女性の身体的、精神的健康のためにも、子孫繁栄、地球の環境のためにも、大切に扱われていました。そこには「恥ずかしい」という概念はなく、女性にとって月経中の休息がどれだけ重要であるか、そして月経中の女性と経血がもつ霊的な力を認めていたがゆえに月経専用の建物で過ごすケースがとても多いのです。

彼らの月経観は、ヨーロッパの人々の「月経は汚れであり、性 — 特に女性の性・性欲— は恥じるべきものである」という考えとは真逆のものでした。そのため、植民地化の過程の中で彼らの元々の月経観は入植民者たちの考えに変えられ、彼らが代々受け継いできた月経に関する豊かな知恵や儀式、慣習のほとんどが失われてしまったのです。

月経、性の開花は少女・女性たちにとって大切な変化の節目であり、尊厳や自信に深く結びついているものです。その結びつきを守っていたのが先祖代々続いてきた様々な儀式や慣習でもあります。植民地化によって強制的にそのつながりを断ち切られ、入植者の価値観を教え込まれた先住民の人々は、彼らと同じように月経と性を恥じるようになりました。

しかし、植民地主義に反対し、先住民族としてのアイデンティティ、文化、尊厳を取り戻そうという運動は18,19世紀から各地で起きており、近年では月経に対しても、彼らの元々の豊かな月経観と伝統を取り戻そう「脱植民地化」と「再土着化」の動きが活発になってきています。

ネイティブ・アメリカンの部族を例にとると、カルク族には「Ihuk/Flower Dance」という伝統的な初潮のセレモニーがありました。(その他の部族も名前や内容に差異はあるものの、初潮を祝福する儀式があります。)植民地化の影響により一度はなくなりかけましたが、部族の人々の努力により復興を遂げました。「Long line of ladies」は、そのカルク族の初潮を迎えた少女のためのセレモニーの準備過程を追った短編ドキュメンタリーフィルムです。女性たちだけでなく、父親も部族の男性たちも、子供も年配の方も一緒になって準備に勤しむ様子から、彼らにとってこのセレモニーがどれほどの意味を持っているのか、どのように月経と少女の成長を大切に思っているのか、体の成長だけでなく、スピリチュアルな成熟と責任が伴うことであるのが伝わってくると思います。

私たちが月経本来の健やかさを願う時、それは不浄の眼差しのなかで叶うことはありません。そして月経本来の健やかさが私たちの体と意識の中で叶わない時、私たちは自分自身とのつながりがぷっつりと絶たれた感覚をどこかで感じていたり、それに対して全く蓋をしてしまっているかもしれません。

私は残念ながら、そのつながりを修復してくれるような日本の月経文化の資料にまだ出会えていません。しかし、違う土地、違う民族ではありますが、そのつながりを修復する上でヒントをくれるような豊かな月経観を復活させた先住民の方々が書いた資料に出会うことはできました。

10月11日(金)から開催する「Cultural Studies of Menstruation/世界の先住民文化に学ぶ豊かな月経観」は、それぞれの先住民文化がどのように月経を捉え、どのように月経期を過ごしていたか、どんな名前で呼んでいたか、どのような霊的な力があると信じられていたかなどの月経観に触れることができるだけでなく、先住民文化の叡智を文化的、歴史的文脈から切り離さずに学び、文化の複雑性を認め、一個人、一民族として向き合い、互恵的な、支え合える関係性へとシフトしていくことをサポートする全5回のオンラインイマージョンです。(録画受講可能)

ここで得られるのは、答えではなくヒントのみであると思っています。そのヒントに出会ったときに自分で咀嚼したり、葛藤に出会うことさえも喜べますように。なぜなら、最終的に私たち一人一人が、自分自身の感覚を信頼し、自分自身にとって月経とはなんなのかを決めることが最もパワフルなことだからです。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

Keito

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